平成21年、どこかの誰かは21歳。21世紀は閉じた部屋中行進中。人一倍旅を嫌った男は、百年に渡る旅を終えました。崩れゆく鉄塔を見上げる僕も21才児の一人で、前世紀のための葬送行進曲に耳を澄ませていました。神様、彼らがいつまでも涼しいところで過ごせますように。ここでは風一つ吹きはしません。僕がネジを巻き忘れたせいで、地球が止まってしまったのです。公転が止まってしまったのです。善き人々が善き集いを作り、善き意思を善き働きのためだけに費やしたはずなのに風が吹かないのは、みんな僕の責任です。だけど神様、ネジが見つからないんです。どこにもネジは見当たらないんです。
そもそもネジを預かった覚えもないんです。だから僕、手当たり次第に何でも回してみました。まずは自分の頭を回してみました。回りませんでした。隣の人の頭も回してみました。回りませんでした。向こうの人の頭も回してみました。回りませんでした。あっちも、こっちも、どれも回りませんでした。だから、頭はきっとネジじゃないんです。ネジならきっと回るはずです。
だけど車輪も回りませんでした。羅針盤も回りませんでした。レコードも回りませんでした。トンボの目も回りませんでした。曲平面の極座標における三角形の頂点も回せませんでした。換気扇が回らないので、息苦しくてたまりません。新聞が回って来ないので、明日見る夢のことさえ思い描けません。舌さえ回らないので回りくどくって何を言っているのやら分かりません。
気が付けば、地球は自転さえ止めていました。僕の右側には朝があって、僕の左側には夜がありました。間の線上をふらふらしていると、眠たくないのに夜がきて、何もできないまま朝が訪れます。右側はどんどん暑くなり、左側はどんどん寒くなります。そこら中のコンクリートは煮え立ったり凍て付いたりで忙しそうです。この長い、明け方だか夕方だかの中を歩むより他になくなりました。
そうこうしていると、段々とレールの上を歩いているような錯覚に見まわれます。しかし振り返ってみても追ってくるものなどありません。地平の果てまで空っぽです。何だか、綱渡りをしているような気分になってきました。昔見たサーカスの光景が、ふと目の前によぎります。ピエロが綱から落っこちます。観客たちはそれを見て笑い転げます。ピエロは立ち上がりません。本当に落っこちたのです。観客たちは動かないピエロを見て笑い転げます。ようやくよろよろと立ち上がったピエロは、血と汗とで剥げ落ちた化粧の向こう側で、笑って見せました。観客たちは動くピエロを見て笑い転げます。僕はじっとピエロの顔を見続けていました。
世界中どこへ行っても、回せそうなものは見つかりませんでした。あるいはあの朝や、あの夜の中にあるのかもしれません。だけど僕の体ではもう、あの光や影の温度には耐えられそうにありません。仕方がないので僕はぐるぐると回っています。見上げると太陽が、やはり静止していました。僕はぐるぐると回っています。半分の月も昇っていました。あれが欠けるのか満ちるのかさえ、分かりません。きっと止まっているのでしょう。僕はただぐるぐると回っているだけです。風は吹きません。神様、どうかあなたに幸あらんことを。僕はぐるぐる回っています。