毎回レビューシートを提出する講義があのですが、特に書くことが見つからず困ります。このレビューシートというやつには八行分の空欄があり、何らかの反応をしなければなりません。質問だとか、感想だとか、色々。私はいつもいつも二行ほどしか書けないでいます。見たところ、他の人達は最低でも六行、細やかな字で八行いっぱいを満たす人も少なくありません。また、二十七行あるものもあります。私はせいぜい六行が限界ですが、十五行を下る人は他に見つかりませんし、やはり二十七行全て使う人もざらにいます。あの人達ならきっと、道端に転がる空き缶からも十四行詩を綴ることができるでしょう。
私は物を書くのが苦手です。私にとって明らかなことは、他の人にとっても明らかだと思うので、敢えて書く必要性を感じません。かといって、私にだけ明らかな秘密を見つけられるわけでもありません。それで、書けることが少ないのです。どうも、世の中には気に入った作品や、あるいは気に入らなかった作品について、何らかのコメントを発しなければ気が済まない人々がいるようです。私にも、そういうところがあります。しかし、ここでもさして書くほどのことが見つけられず、お決まりの言葉に終始しています。その言葉とはこうです。
「とても、良かった」
周りには、膨大なコメントを書くことに長けた人も見受けられます。大抵はスポンジのように膨らんでいて、私にはこんな風に見えます。
「承知の通り、兵十に野菜を届けていたのはごんです」
まずこう始まります。あれこれあって、こう続きます。
「兵十が射殺したのは実はごんだったんだ!」
本文にそう書いてあります。読めば誰にでも分かることです。
つまり、誰にでも分かることを書くのが大切なのでしょう。しかし私にでも分かることは既に多くの人々が、多大な労力を費やして書いてくれているので、私には書くべきことがどうも見つかりません。そこで、誰にとっても明らかだとは思えない、自分にさえよく分からない、そういうことを書くことにしています。こんな感じです。
「射殺したのがごんじゃなかったら、兵十は悲しくなかったっていうのか?」
昔、友人は私の書いたものにこんなコメントを付けました。
「お前がこんなものを書くなんて意外だったよ」
これは彼が私のことをよく知らないという意味です。私も彼のことをよくは知りませんし、誰のこともよく知らないのです、実を言うと。コペルニクスや、アインシュタインのこと以上に、知り合いのことをよく知らないのです。そんな風にして物事に疎い人間の呻きには、いつだって同じ響きを聞き取れます。こんな感じです。
「戯言は力なり」
私は到るところでこの響きに出会います。到るところで。
とはいえ、私が足を運ばないところではもっと有益な言葉がやりとりされているようです。それは一般に書類と呼ばれます。書類とは、恐らくこんな感じです。
Aがバナナを食べたいと思う。
Aは「バナナ」と一筆したためる。
AはBに「バナナ」を渡す。
Bは「バナナ」にマルをつけて、Cに渡す。
Cは「バナナ」にマルをつけて、Dに渡す。
こんなやりとりを何度か繰り返す。
やがてAにはバナナか、バツのついた「バナナ」が渡される。
これぞ人と人とのコミュニケーション。
他には、小説と呼ばれる言葉の束もあります。これは私にとっても親しみ深いものですが、書類ほどは書く人がいません。多分、あまり有益ではないのでしょう。
特に、書類には小説との決定的な違いが一つだけあります。
鼻をかむとインクが滲むこと。これは違いではありません。
鼻をかむのに使うと読みづらいこと。これも違いではありません。
鼻をかむにはいささかもったいないこと。これが違いです。
何にせよ、文字や図版なんかが印刷された紙は、鼻をかんだり尻を拭くのにはさして向いていません。読んで燃やすか、読まずに燃やすかに限ります。私はまだ一つとして小説を燃やせずにいます。お気に入りの小説を開くたび、世の中にこれほど戯言に尽力する人々がいるのだと、胸が震えるからです。
意味のない言葉の束は何も小説に限った話ではありません。私は普段交わす会話でも、言葉自体にはさして意味を感じません。会話を一つの行為とみなし、いかに振舞うかを気にした方が幾らかマシに思えます。剣はペンよりも強し。
何であれ、意味のある言葉が私の口から溢れるとはとても思えません。大抵のことは、偉大なる先人たちによって既に語り尽くされていますから。
私などは生まれてこのかた、意味のある言葉をほんの三つしか喋っていないような気がします。
まず、「こんにちは」と「さようなら」。ハワイではこの二つが一言で済みます。
「アロハ」
それに「ありがとう」。あまりに上等過ぎてなかなか口にできませんが、心の中にはいつもある言葉です。時々は、勇気を出して言うこともできます。
そして、今がその時なのでしょう。
ありがとう。
私の戯言に付き合ってくれて。
あなたの口元か、せめて耳元に、意味ある言葉のあらんことを。
追伸。
もしも見つけられない時は、ぜひとも枕元に『ごん狐』を。とても、良かった。