寛容と頑丈。ヒースの荒野を素足で歩くということ。或いはカエルの串刺し。オッカム再来。

風邪が治らないというより咳が止まらない。それもあまり良くない感じの咳だ。ドーピングすることにする。

関東の天気が悪くなってきた。

バイオはエイダ編を両方とも終了。マーセナリーズは面倒臭そう。何気なく始めたつもりのプロフェッショナルがすでにチャプター1終了。こちらの腕が上がっている分、さくさく進む。弾薬も回復薬も余りまくり。コンティニューを多用し始めたチャプター4あたりからが問題になってくるか。でも城パートはもうやりたくないなあ。空気重すぎ。ガラドール嫌すぎ。

ナイン・インチ・ネイルズの『Every Day Is Exactly The Same』とソニック・ユースの『Washing Machine』は相変わらずの良作。なんかこのへんはもう安牌状態。m-floの『Beat Space Nine』はR&B臭が強くて苦手。こんなことを言うと見識の狭さを示すだけなのは承知の上で言うけれど、女性のR&B歌手の声は全部同じに聞こえる。dorlisの『swingin' street 2』は「マリポーサ」を筆頭に花のパリってる感じが好き。これは人に勧められて聴いた。勧めるのが上手い人というのはいるもんだ。自分は圧倒的に苦手。見識も視野も狭い狭い。

キャッチャー・イン・ザ・ライ』を適当に読み返す。古典だって今ある書物と同じ価値しかないと主張していた人達が昔いた。その願いはすぐには叶わなかったようだけれども、今になってようやく叶いつつある。でも実際のところ、そういうのって困る。古典は神棚の奥にでも引っ込んでいてくれればいいのに、新訳になって生涯現役だもんで。どうすればいいんだ。

三限、いつもの机の上に「発音上の問題、窓際の発音」と書いてあった。窓際の発音? しかもそれは幾つも書いてあった。多分、5つはあったと思う。そして四限、学内で一番大きな教室だ。ここでもいつもの席につく。机の上には「発音上の問題、窓際の発音」と無数に書いてあった。何なんだ? 「発音上の問題、窓際の発音」。頭の中で何度もそう繰り返した。窓際の発音、窓際の発音、窓際の発音。窓際の発音? やれやれ。

シチューを作る。悪くない出来だが、シチューらしくない。シチューではない気さえする。シチューが本来有しているべき決定的な要素が欠けている。物質的には欠けているのではなく、むしろ不純物が混ざった状態だ。しかし些末な異物こそがシチューをシチューたらしめない代物へと変えてしまっている。穴がなければドーナッツではないように、シチューにもある種の隙間が必要に違いない。形而上のシチュー。悪くない響きだ。