歩く度、脳天に釘を打ち込まれたような痛みがする。

個人の自殺は日本だけでも20分に1人のペースで発生するぐらい極々当たり前の、それこそ運動部員の給水よりも珍しくない事柄に過ぎない。集団の自殺はどうだろう。個人の自殺の集合としてではなく、集団が集団として自殺をすることは、なくはない。少なくとも、百人単位で自殺をした宗教団体は存在する。国家が自殺することはあるだろうか。結果的に身の破滅に繋がったというのではなく、意思を持って自殺した国家というのを聞いたことはないが、一つぐらいはあるのかもしれない。そして、王を殺し、時には神を殺しまでして、それでも生きることを選んだ集団が存在することを歴史は教えてくれる。

バイオは難易度プロフェッショナルをクリア。70回死亡の内、半分がクラウザーで残りの半分がサウザー。でもクラウザーは弾丸ケチるためにやり直し、サウザーはロケラン未使用で倒すためにやり直したので、あまり詰んだ感じはしなかった。檻の中にガラドールと閉じこめられた時は詰んだと思った。時間は二時間ほど短縮。チャプター3の後半から敵の攻撃力が顕著に異常になっていたのが大変だったけれど、自分の上達振りもよく分かった。マーセナリーズはなんだかんだで後は5ステージを残すのみ。終わりが見えてきた。

『物語の作り方-ガルシア=マルケスのシナリオ教室』を読む。ちびちび読んでたら随分時間がかかった。アメリカでは複数の脚本家によるコンペによってドラマの脚本が決まる。その後は監督やプロデューサーが大きく手を入れる場合もあるし、他の脚本家の手で書き直されることもある。とにかく、脚本が重視されている。アメリカでは、と書いてはみたものの、他の国でどうなっているかは全然知らない。日本でさえ知らない。多分、あまり事情は違わないだろうけれど。実際にどのようにして脚本が形成されていくのか知りたかったので読んだ。何人かの脚本家の卵がそれぞれにアイデアを持ち出し、全員で練っていく。場を仕切るのがガルシア=マルケス。その引き出しの多さに驚かされた。多分、何だってうまく書いてしまえるんだと思う。

BUMP OF CHICKENの『THE LIVING DEAD』を聴く。中学生の頃、バンプは人気があった。もしも投票をしたなら、きっと一番だったろう。それぐらい人気があった。放送委員をやっていて、学校の音響設備に関することはほぼ全てが放送委員の手に任されていたから、学祭でステージに上がるバンドの審査会なんかも取り仕切っていたこともある。勿論、審査をしたのではなく、音の調整だとか録音だとか、そんなことを一日中やった。一日でバンプを浴びるほど聞かされた。あまりいい思い出じゃない。なんせ一日に三度も「ハルジオン」を聞かされるのだから。「K」は誰も演奏しなかった。このアルバムでは「K」が一番好き。歌詞もいいけれど、抜群に曲がいい。後はどれも似たり寄ったり。「グングニル」、「ランプ」、「グロリアスレボリューション」あたりがそこそこ。

YUKIの『five-star』も聴く。「ハローグッバイ」から「ふがいないや」までがやたらいい曲だと思ったら全部作曲者が同じだった。ハチクロが流行った頃に近所の本屋で「ドラマチック」がずっと流れていて、割と気に入っていた。JUDY AND MARYのボーカルが歌っていたのだということを「ふがいないや」が出るまで知らなかった。ジュディマリは当時好きで、今でも好きだけれど、『るろうに剣心』から入ったことがバレるのであまり話さないでおく。「長い夢」を聴いていると無性に「murmur twins」が聴きたくなってくる。

るろ剣は原作とかけ離れたタイアップで有名だけど、結構いい曲が揃っていたと思う。

自転車に愛を。

学科の合宿を華麗にスルー。