さて僕は、朝食にスペインオムレツを食べようと思った。だけど僕はスペインオムレツの製法を知らなかったので、普通のオムレツを食べざるを得なかった。スペインオムレツの焼き方と、三角ネジと、構造主義には詳しくないのだ。
文学部で構造主義を知らないというのは、海中に暮らしていて鰓呼吸を知らないのと同じぐらいの事態だ。もちろん、必要とあらば海上に鼻先を出して肺呼吸をして生きていくこともできる。イルカやクジラのように。だけど文学部の人達の多くはイルカやクジラに愛を持っていないし、むしろ自分が博愛主義者でないことを示すべく挙って狩りにくる。そんな塩水を泳ぎ続けるのに必要なのは鈍感さだけだ。そしてこの鈍感さこそ、文学者には最も不要なものであり、研究者には限りなく要請される能力なのだ。結局のところ、文学部ではまともな文学者もまともな研究者も育ち得ないということになる。じゃあ何が育つのかというと、批評家なんだな、これが。