大学読書人大賞ってガガガ文庫を入れなきゃならない決まりでもあるの? というか大賞の作家を呼びつけるってとこまでが主旨なのに二年連続で不可能な作家選ぶってのはどうなの? もしかして他の候補の作家全員に断られたから呼べない作家選んで茶を濁してんの? ロミオは三年連続で候補にしたら来てくれるってことにでもなってるの?
ネットでだらだらサイトを巡ってるとさあ、世の中にはたくさん本を読んでいる人がたくさんいるんだなって思うよ。文学部の教授なんかは本読むのが仕事だから、やっぱ滅茶苦茶本を読んでいるわけ。それでまあ、どういうわけだか彼らは彼らなりに文章を物してたりもする。何も批評めいたものばかりじゃない。小説だってある。文学部の教授なんて作家崩ればかりだ。で、まあ、人一倍読書に熱心な人達が書いたものを、人一倍読書に不熱心な俺が読む。なんでこんな酷いものしか書けないんだ、って気分に大抵はなる。大学の文芸サークルが発行している本を読む時も間違いなくそんな感じになる。そりゃあ、物を書くにも才能はあるだろうよ。鉛筆を回すのにだって才能があるんだから、当然それはあるんだ。でもだからといってこれじゃああんまりだよ。別に本を読めば読むだけ文章がうまくなるってほど話は単純じゃないのは百も承知だ。でも文学に心血を注いでる身としては、書いてるものを読むってのは相手を判断する一つの基準なわけだし、重要な基準だ。そいつが何をどれだけ読んだかなんかより、そいつが何をどれだけ書けるかってことの方が。まあ、だからこそ、腐るほど本を読んでる連中が愚にも付かない小説書いてんの見るとやるせなくなるね。俺の目の方がとち狂ってるってんならそれでいいし、できればそうあって欲しいよ。そうやって自分を慰めているって。でも、世の中にはどうしよもなく才能ってのがあるんだな。そういうのって現実的過ぎてちょっと受け入れ難いよ、実際。