年収は200万もあれば十二分に今の生活を維持できるので、それぐらいを目標に頑張る。
何を言っているのかてんで分からんが、何を言わんとしているのかは分からんでもない、てな具合の文章を書いてみたいよなぐらいの本稿。
気がつきゃもう学生始めて三年目だってのに何の運動もしてねえ。だから拳法でも球場でしてみる快晴の今日この頃。公道で選挙するぐらいで逃走できてた段階なんだから愁色なんてあるはずがねえはずだってのに。
Twitterは三年ぐらい見てるけど、割といいアイデアだとつくづく思う。メッセとかメールとか連絡手段として長いこと使ってるけど、会話の始まりは心底どうでもいい独り言で大抵始まる。そこでこちらとしては、いっちょかまったげようかそこの甘ったれ坊やって気分でコミュ力を発揮しまくることになる。アザラシが多摩川を泳いでるよりもどうでもいい話をすぐ俺に言うな、そう言いたくなる衝動を抑え込むことになる。コミュ力って想像と忍耐のハイブリッドだったんですねーって考え込むことになる。そして世界中で日夜起きている紛争よりもどうでもいい話を俺が始める時、向こうもそういう気分なんだろうなと落ち込むことになる。BlogとかMixiとか眺めてても、ある程度の長さがあってまとまりのある文章よりも、とりとめない何気ない文章を絶え間なく垂れ流したいという需要は少なくないように思われるわけで。チラシの裏って健全だなと思わされるわけで。Twitterはそのへん上手く突いたなと独りごちるはてななう。
でも結局、俺の方がもう何年もネタ切れ感全開でいっぱいいっぱいだから上手いこと返せないってのが問題なんだよな。別に、それで俺をはじめとして誰が困るわけでも全然ないんだけど。
類は友を呼ぶ。ならば友無き者は類無き者であり、類無き者は友無き者である。故に、もともと特別なオンリーワンという思想は人民のアトム化を促進させるものに他ならない。そうして量産されたららら科学の子らが、便所飯という太陽へ向けて飛んでいく様ほど涙ぐましいものはない。
友達百人できるかな、なんて夢物語どころか今や最低ラインのこのご時世。マイミク二桁とかマジあり得なくない、ってなご意見。そんでもってめさんこ友達多いっすねなんてご機嫌取ると返事は決まって、別に友達じゃない。一度会ったら友達で毎日会ったら兄弟さ、なんてゴム消しで忘れるしかない。でもそういう豪勢なドライさも嫌いじゃないから問題ない。
変態関連のニュースを見ると、事実は小説よりも奇なりってのが未だに有効なのが分からいでか。やり尽くされたなんて嘘嘘。やれよや。
しかし時代の流れってのは豆腐の角に頭をぶつけるよりも可及的速やかなもので、今やひぐらしネタですら微妙に古い扱い。今をときめくナウなヤングや健やかなカラーギャングの間では生徒会の一存ネタですらきっと、既に黴臭くて聞いてらんねーべって話。思えば遠くへ来たもんで、そんな時代の超超超最先端を今日もサバイブってるファッションピープルと、それに付き合うサンタさんのタフさはリスペクトに値すると思うのです。しかしスラングとしてのパロディもここまで来ると最早何が何やらわけわかめで、さあふえるがいいなんてコピってる場合じゃない。すっげえせんめえ社会をめっちゃどでけえ社会だと錯覚させちゃわなくなくなくなくない? そげな中高生みたくサグいメンタルがイルすぎてバリヤバイ。言わなきゃならないことしか言えないこんな世の中じゃいかんのか?