「私のことは地球としておこう」
すばらしい星の生き物へ。
このささやかな星の上で、僕が人のためにやれたのは、耳を傾けることぐらいだった。
おはようございます。
起きてすぐ、注文しておいた本が届く。新しい本を開くたび、図書館とは人類が零した溜息の標本であるように思われる。僕は三つ溜息を零した。
昨晩、読みながら眠りについた『七回殺された男』を読み進める。この溜息を零してから、五年の月日が経過していた。よくあることだ。友達が「キングギドラの新譜が出たんだぜ」という言葉を発して、僕に届くまでには八年かかった。「『最終兵器』は最高だな!」よくあることだ。
ケイト・ブッシュの『ドリーミング』を聴く。何をどうしたらこんなものが生まれるのだろう? これは賛辞だ。実際のところ、僕は様々なものの生まれ方をよく知らないので。はじめてクジラを見た時も、同じ言葉を呟いた。何をどうしたらこんなものが生まれるのだろう? 僕は星に対してこう呟きたくなった。「君がためしに作ってみた機械仕掛けの件だけど、なかなかうまくいったよ。いつも魚をありがとう!」
ケイト・ブッシュの『ライオンハート』を聴く。星がこう返すのが聞こえるかのようだ。「クジラは魚ではありません」「今まで魚をありがとう!」
昼がくる。何も食べていないことに気がついたので、ヨーグルトとミートスパゲティを食べる。誰かがドアをノックする。僕はドアを開ける。そこには昼がいる。「どうも、昼です」「どうも、何の御用ですか?」「光熱費を頂きたいのですが」うんぬん。
散髪へ行こうと駐輪場に向かうと、自転車が倒れていた。風で飛ばされたかと思ったが、後輪の空気が抜けている。とりあえず空気を入れてみた。人工呼吸というやつだ。とりあえず空気が入った。立ち上がった。パンクではないらしい。先日、人工呼吸を施した際に、よく閉まっていなかったのだろう。タイヤは細く長い息を吐き出し始めた。
そして僕は自転車に跨った。青年は床屋をめざす。床屋の向こうには友達の家があって、そこには『聖☆おにいさん』がある。イエスブッダが主人公の愉快な漫画だ。講義中に仏教について触れる折、教授が言及するぐらい人気がある。「ブッダというのは、なかなかいい奴ですね」
ブッダというのは、なかなかいい奴だ。二千五百年前には、いい奴がいた。そして、きっと今でも。
二千五百年の間にいなくなった奴もいる。例えばモアがそうだ。この飛ぶことを知らない鳥は、凡そ五百年ほど前に絶滅したと言われている。彼らの足跡を解読すると、こんな言葉になっていたかもしれない。「さようなら、また今度」
そして今、いなくなろうとしている奴もいる。例えばウンピョウがいる。この猫の個体数は今や、核弾頭よりも少ない。しかし、核弾頭よりも個体数が少ない動物は珍しくない。がんばれ!
床屋に着いた。髪を切ってもらった。「短く、短く」と僕は注文をつけたが、あまり短くはならなかった。というか、大変おかしなことになった。よくあることだ。
帰り際、途中にある友達の家に寄ろうかと思ったが、やめにした。アポなしで訪れることはしないようにしている。もし僕がチャイムを鳴らしたとき、自慰に励んでいたら? 僕は自慰ほどの幸福を与えられる自信がない。このことを勃起障害と呼ぶ。
平日の真昼間に家で男一人。自慰でしょう。がんばれ!
それでも人類の個体数は、今や六十五億を越えた。これまでに死んだ個体数よりも多いと言う人もいるし、少ないと言う人もいる。六十五億もいれば、色んな人がいる。核兵器が全力を尽くしたら絶滅の危機に瀕するかもしれないという意見では、概ね一致している。それでも人類は生きていける。強い生き物だ。
人類がこれほどまでに個体数を増やしたのは、イエスのパパがこうしつけたためだと考える人もいる。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」
図書館へ寄ってCDを借りた。あんまり暑いので、アイスを買って食べた。帰宅した。
『水戸以外全部沈没』を買うために再び自転車を駆り、最寄のとらのあなへ向かった。最寄のとらのあなの向こうでは、僕の友達が今日も大学へ通っている。がんばれ!
『水戸以外全部沈没』は絶滅していた。僕は四つ溜息を零した。後から分かったことだが、友達は大学へ行っていなかった。僕も水戸を沈没させてしまった。広告が語りかける。「なぜベストを尽くさないのか」手厳しいことを。
自転車を漕いで帰りながら、僕はそもそも納豆が好きじゃないことに気がついた。水戸のことも別に好きじゃないことに気がついた。何となくゆのっちのことも好きじゃないような気がしてきた。
帰宅した。ヨーグルトを食べた。僕は乳酸菌をえこひいきしている。がんばれ!
「えこひいき」の「えこ」はエコブームとは何ら関係がない。「依怙」と書いて「不公平」という意味がある。勉強になった。学べることは多い。
テレビをつけると『水戸黄門』をやっていた。僕は『水戸黄門』が好きだったことを思い出した。宮子が好きだったことを思い出した。何より氷川へきるの漫画が好きだったことを思い出した。
ぱにぽに』14巻を読む。人類は笑うこともできる。
僕はとらのあなのサイトへ行き、『水戸以外全部沈没』の個体数を一つ減らした。
侵略!イカ娘』5巻と6巻とを読む。どんどん面白くなってきたが、これは耐性というやつだろうか。
PSYREN -サイレン-』11巻を読む。どんどん話が腰を据えてきたが、これは安心していいのだろうか。
それでも町は廻っている』7巻を読む。面白さがすっきりとしているところが好きだ。気持ちがいい。
『七回死んだ男』を読み進める。主人公を応援してしまう。がんばれ!
オジー・オズボーンの『ブラック・レイン』を聴く。読む。
モット・ザ・フープルの『すべての若き野郎ども』を聴く。読む。
ストゥージズの『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』を聴く。読む。
吉田拓郎の『Long time no see』を聴く。読む。
萱野茂の『音の世界遺産 アイヌのユカラ』を聴く。読む。
『七回死んだ男』を読み終える。久しぶりに読むミステリーだったので、割と本気で挑んだ結果やたらと時間がかかってしまった。すっかり解いた気になっていたけれど完全に手の平の上で、大ネタにすっかり引っかかった。すばらしいパズラー。
夜がきていた。夜とは、空に映ったこの星の影のことである。そこには宇宙があり、他の星が見えることもある。こんな古い歌もある。「きらきら光るお空の星よ、まばたきしてはみんなを見てる」この星は孤独じゃない。
『日本語ウォッチング』を読み始める。
『永久保存盤 軍艦マーチのすべて』を聴く。読む。
『日本語ウォッチング』を読み終える。勉強になった。学べることは多い。
腹が減ったと思ったら、何も食べていない。よくあることだ。後は寝るだけなので、潔く寝る。
僕は眠る。僕は一日の三分の一を寝て過ごす。丸々七年間ほど眠り続けてきた計算になる。三十年ほど眠っていたい。
おやすみなさい。
生憎、その耳は飾り物でした。このことを悲劇と呼ぶ人もいれば、喜劇と呼ぶ人もいました。いずれにせよ、人生は一幕の芝居であるようです。その観客とは、友達の友達の友達なのかと考えていた時期もありましたが、恐らくは、子供たちの子供たちの子供たちなのでしょう。題して、「歴史」。副題、「我々は如何にして心配するのを止めて溜息と笑いの標本を愛するようになったか」。
この星には固有名詞があまりに溢れかえり過ぎている。しかし、そこに僕の名前はない。あまりにありふれているので。水袋とでも呼んでいただければ幸い。
生き物の大半は水である。空と海との間を行ったり来たりし、時々は地上に留まって、溜息をついたり笑ったりする。こんな古い歌もある。「きらきら光るお空の星よ、みんなの歌が届くといいな」歌とは、振動のことである。頭上を飛び交う人工衛星が、雲の振動からこんな言葉を解読するかもしれない。「がんばった」
生きとし生けるものはみんな、がんばった。それぞれに。
「ここを地球と呼んではどうかね?」